キリスト教会へ行く

礼拝中にトイレに行きたくなったらどうするか キリスト教会で

投稿日:2019年5月13日 更新日:

腹の弱い人は結構たくさんいます。
消化器系の弱い人の場合、キリスト教会の礼拝中にトイレに行きたくなるのが心配でしょう。

礼拝中にトイレに行きたくなった時、どうすれば良いかをみてみます。

キリスト教会の礼拝中にトイレに行きたくなったときの対処方法

私の経験から、礼拝中にトイレに行きたくなった時の対処法方をあげてみます。

私はあるプロテスタントの教派の教会にしか行ったことはありませんが、少なくともプロテスタントの教会ならだいたい似たようなものなのではないか、と思います。

礼拝中はトイレに行くために退出できる

私の経験上、礼拝中でも、トイレに行きたくなったら礼拝堂を退出できます。

そっと席を立ち、礼拝堂から退出し、トイレに行って、また普通に席に戻れば済みます。

大学の講義なら、トイレに行きたくなれば黙って出て行ってトイレに行って、また黙って講義室に戻ってきて普通に講義を聴くでしょう。
それと同じような感じです。

長椅子の場合、席を外しやすい端の席に座ると良い

礼拝堂の椅子は、長椅子タイプの場合が多いかもしれません。

長椅子の場合、中の方に座っているとトイレに行くために席を立つ時、ちょっと出にくいです。

そこで、長椅子の場合は、できるだけ長椅子の端に座るようにすると良いでしょう。
そうすれば、席を立ちやすくて楽にトイレに行けます。

早くに礼拝堂にきてしまうと、たとえ端に座っても、後からどんどん人が来て中に詰めていかなければならないかもしれません。

そこで、あまり早く行かないようにするなどして、できるだけ端の席をとれる作戦を考えましょう。

受付の人なり、誰かに端の席に座らせてくれるよう頼むのも良い

少し礼拝に行きなれてきたら、礼拝の受付の人などに、「腹が弱くて途中でトイレに行きたくなるかもしれないので、トイレにいきやすいよう端の席に座りたいのですが」と言ってみるのもよいでしょう。

朝食をとらないという方法

私の場合、腹が弱すぎて、朝食をとると極めて高い確率で腹が下ってしまいます。

そのため、仕方ないので礼拝に行く時は朝食を抜いていました。

朝食を抜くのも一つの手でしょう。

ただ、健康上はあまり良い方法とは思えないので、礼拝中にトイレに行ってもよいのでできるだけ朝食はとった方が良いでしょう。

礼拝中トイレに行きにくい注意するべきシチュエーション

献金を集める係になったとき

教会員になると、ローテーションで献金を集める係をするかもしれません。

献金を集める係の日は、礼拝中に献金のコーナーが来たら、短時間ではありますが出て行って献金を受け取る作業をします。

もし自分が係になっているときに、献金コーナーのときにトイレに行って席にいなかったら、献金係はいったいどこへ行った? となってたぶん礼拝堂がざわつきます。

私の場合、仕方ないので献金係になっている日は朝食を抜いていました。

しかし、朝食を抜くのは健康上よくないので、良い対処方法ではありません。

礼拝を運営している係や長老や牧師などに相談して、「私は腹が弱くて、献金のコーナーで確実に礼拝堂にいるためには朝食を抜くしかありません。それでは健康に悪いので、献金係を外してもらえませんか。」と言ってみると良いでしょう。

まともな感覚を持っていれば、健康と礼拝なら健康の方が重要なので、献金係は免除されるでしょう。

あなただけ特別扱いをするわけには行かない、朝食を抜いてくれば良かろう、と言われたら、「礼拝より健康の方が大事でしょうが。何を言うとるんだあなたは。人が安息日のためにあるのではない、安息日が人のためにあるのだ、とイエス様は言っていたものだ。」と異議申し立てをしてみましょう。

人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのだ、というようなことをナザレ村出身の大工のおじさんのイエスも言っていました。
本末転倒の思考に陥るな、ということです。

執事などの係になったとき

多くのプロテスタント教会の場合、執事や長老などの役職が設けられています。

教会員になると、ある程度事務作業などをこなす能力があるなら執事になる確率はかなり高いです。

執事になってしまうと、礼拝中は色々作業が発生する場合もあります。

受付の係になるかもしれません。

献金の係も、ただのローテーションで係の順番がくるだけでなく、何人かの献金係の人の取りまとめ役のような感じになって、普通の教会員より高い頻度で献金係をせざるをえなくなるかもしれません。

よって、非常に礼拝中にトイレに行きにくい状況になってしまいます。

さらに、役についているので、腹が弱いので係の仕事は免除してもらえませんか、と言っても、全員忙しい中やっているんだからあなただけ免除できるわけないでしょうが、と言われるかもしれません。

それでも、朝食を抜くのは健康上あまりよくありません。

そこで、諸会議で、自分の消化器系の弱さについて述べ、健康と礼拝の両立について相談してみましょう。

何か柔軟な対応がとられれば元気に教会に通うもよし、交渉決裂やまともな議論にもならないような状況になったりするなら、教会を離れるのもありでしょう。

人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのだ、というようなことをナザレ村出身の大工のおじさんのイエスも言っていました。
本末転倒な思考に陥るな、ということです。

消化器系が弱いのは悪いことか

当然、人間である自分たちの努力で解決する

消化器系が弱いと、社会で生きて行く時にとても不便です。

消化器系が強くなって、社会で楽に生きられるに越したことはないでしょう。

私たちがすることは、病院に行って診察を受けるなどし、現代に医療技術の範囲で治療を受けることです。
現代の医療で治らないなら、症状と付き合って生きていきます。

医学研究は日々進んでいるので、今症状が改善しなくてもいずれ改善する方法が出てくるかもしれません。
もちろん、医学研究における動物実験は3R(Replacement 動物を使用しない実験方法への代替、Reduction 実験動物数の削減、Refinement 実験方法の改良により実験動物の苦痛の軽減)を遵守して進めるべきであることは当然です。

また、現在の差別や暴力がなくならない社会も、引き続き主権者の私たちが各種の社会運動、政治運動などを行って、良い社会に変えていきます。

神の救いは逆説的な方法・表現で与えられている。神のご利益はない。

そのように、キリスト教徒でも仏教徒でも無神論者でも変わりなく、人間の努力で社会をより良く変えるし、問題も解決していくわけです。

自分たちの弱さや悲惨さを解決するべく私たち自身が努力する、努力の甲斐あって解決できれば喜ぶ、努力しても現状で解決できないことがあっても、「力は弱さにおいて完全になる」というような逆説的な方法で神の救いは私たちに与えられているらしいので、「腹が弱くて何をするにも苦労するが、弱さの中で頑張るか……」と言って生きていきます。

神の救いは、熱心に祈ったり、深く信じたりした結果、抱えている諸問題が解決する、というような方法で与えられているわけではないらしいです。
このことは、この世界で10年20年くらい生きていれば分かりきっていることでもあります。

神は助けてくれるのかくれないのか分からないが、共に苦しんでくれる方であることは確か

神に助けを求めても、危機に遭わないで済むようにはしてくれません。
危機は人間の努力で解決するものです。

少なくとも、人間の努力で解決できる危機であるから苦しみながらも解決の努力をしていたり、人間の努力では解決のしようのない困難にあって苦しんでいる時、神は共に苦しんでくれる方ではあります。

1アサリオンか2アサリオンか分かりませんが幾らかの値段で売られていたスズメも、天の父なしに落ちることはない、と言われている通りです。
空を飛んでいるときも、何かのトラブルで地に落ちてしまうときも、常に神が共にいて下さるということです。
どのような事態に陥っている時も、イエスが神に見捨てられたと思い絶望のうちに処刑されていった時も、神は共にいて共に苦しんでくれているということです。

では、神は共に苦しんでくれるだけで、助けてくれるわけではないのか、と問われれば、たぶん助けてくれるわけではないのだろう、と私は思いますが、詳しいことは聖書学者など詳しい人に聞かないと分かりません。

もし助けてくれるのなら、現在ほど多くの人々が様々な犯罪の被害などで殺されていったり、入国管理局の職員に押さえつけられて殺されていったりすることなく、助かっているはずでしょう。
しかし実際はそうなっていないわけであり、やはりこういった諸問題は私たち人間が自ら努力をして解決するしかないわけです。

具体的には、選挙の投票、議会や行政機関への請願など、街角でデモンストレーション、など各種の主権行使の方法を駆使して弱者が叩きのめされることのない社会に変える努力をするということになるでしょう。

キリスト者なら、神は共にいてくださり、必ず出口を用意していてくれるのだ、と信じて政治社会の運動に取り組むようなスタイルになるのでしょう。

礼拝中にトイレに行きたくなった時、どうすれば良いかをみてみました。

キリスト者と求道者の必読書



クルマ社会と子どもたち (岩波ブックレット (No.470))



「年間子ども500人が亡くなり,7万人が負傷する交通事故大国.
日本社会のその歪みを正すために,どんな視点が求められているか.
昔遊び場であった道という空間が激変した意味をたどり,児童の認識能力を過大評価した「交通安全教育」万能論を批判し,社会的弱者の生活空間において交通量を制御する交通環境改善の提言を行う.」



交通死―命はあがなえるか (岩波新書)



「私たちはいつの間にか交通事故で毎年1万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている.
しかし機械的な事故の処理,「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか.
交通事故で最愛の娘を失った著者が,事故当夜から刑事裁判,賠償交渉,民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを克明に綴る.」



子どもの命を守る分離信号―信号はなぜあるの?



「行政は、なぜ青信号を渡る子どもたちを見殺しにするのか?
『人間の注意力は不確実なもの』
信号システムを改善するだけで、確実に子どもたちの命が救えるはずなのに。」
「人と車を同時に交差させる一般交差点は、青信号を渡る子どもたちの命を危険にさらしている。
不確実な人間の注意力に頼る信号システム・交通行政を批判し、人と車の流れを分離させる分離信号の普及を提唱する。」



クルマよ、お世話になりました: 米モータリゼーションの歴史と未来



「アメリカはいかにしてクルマ大国になったのか?
クリーンエア最優秀賞受賞者がその知られざる驚愕の歴史を詳述し、クルマに依存しない豊かな生活のための方策を提案する。」

楽しい暮らしのために役立つマンガ


小中高の先生方が忙し過ぎるようで、子どもたちが「自分が主権者である」という意識を学べずに大人になるケースがかなりあるようです。
民主主義社会の一員として必要な基礎を子どもたちに教えてあげましょう。



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