キリスト教会へ行く

キリスト教会に行く方法 いきなり行くのも可能

投稿日:2019年12月14日 更新日:

キリスト教会に行ってみようと思っている方は多いでしょう。
しかし、初めてキリスト教会に行く時はどのようにすると良いか迷うかもしれません。
連絡なしで突然キリスト教会に行っても大丈夫かどうかみてみます。

キリスト教会はいきなり行っても大丈夫

たいていの場合、キリスト教会は連絡なしでいきなり行っても大丈夫です。

キリスト教会の前に礼拝やその他の集会などの案内看板が立っています。
そういった看板に、ご自由にご参加下さい、ご自由にお入り下さい、というようなことが書いてあります。

ご自由にご参加下さい、と看板に書いてあるなら、突然参加しても大丈夫でしょう。

参加しやすいのは日曜日の礼拝

キリスト教会では日曜日の礼拝と、それ以外に例えば水曜日あたりに「祈りの会」的な集会などが開催されていたりします。

初めてキリスト教会へ行く場合は日曜日の礼拝が最も行きやすいです。

キリスト教会へ初めて来る人のケース

キリスト教会の礼拝には、初めて参加するという人がちょくちょく来ます。
そのため、礼拝の受付のは初めて来た方への対応にはある程度慣れている場合が多いです。

あるキリスト教会があったとして、その教会の教会員やその教会に通っている人以外の人がそのキリスト教会へ初めて来るケースの例としては以下のようなものがあります。

  • キリスト教に関心を持って初めて来る人
  • 他のキリスト教会の会員の人が、出張や旅行の途中で自分の所属している教会の礼拝に出席できないので旅先のキリスト教会の礼拝に出席するという例
  • 昔キリスト教会に通っていたが、何十年も教会から離れ、再び教会に来ようと思った人

など

大工をしていたと思われるイエス(船大工的な仕事や家具や道具の修理などを主に行っていたと推測されているらしい)

キリスト教会にいきなり行く場合の手順

1.看板に「ご自由にご参加下さい」というような文言があることを確認

キリスト教会の前に立っている礼拝などの案内看板で、「どなたでもご自由にご参加下さい」というような内容の文言があることを確認します。

その文言があれば、礼拝などにいきなり参加しても問題ないという保証になります。

2.礼拝や各集会の日時を確認しておく

キリスト教会の前にある看板を見て、礼拝や各集会が開催される曜日や時間を確認しておきましょう。

3.当日教会に行って受付などをする

礼拝に参加してみるとしたら、礼拝の開催時刻の少し前にキリスト教会に入っていきます。

たいていは受付のようなところがあるので、そこで「表の看板の礼拝の案内を見て、今回初めて来てみたのですが」などと告げます。

すると受付の人が「いやあ、そうでしたか。よくお越し下さいました」などたぶん言うでしょう。

聖書と賛美歌の本など持っていなければ「聖書は持っていないのですが」と告げます。
受付の人が聖書と賛美歌の本と、礼拝のプログラムのような紙などを渡してくれます。

その他、礼拝に初めて参加する時の便利情報を以下の記事でご参照下さい。

当ブログの参考記事

補足情報 キリスト教会についての予備知識

キリスト教会に通ったりするときに、いくつか予備知識を持っておくのも良いでしょう。

キリスト教会は善人の集まりではない

まっとうなキリスト教会であっても、別に善人の集まりではないことは心得ておく必要があります。

政治や社会の問題に何ら問題意識を持たず、選挙があれば白紙で投票したり棄権したりするキリスト教徒もいますし、ひどくなればキリスト教徒は政治活動をしてはいけないはずだ、という謎の思い込みをしているキリスト教徒もいます。

逆に、様々な分野の問題に高い問題意識と当事者意識を持って熱心に運動に取り組んでいるキリスト教徒もいます。

一般社会と同じです。
世界中の人・モノ・カネのつながりを意識して全ての問題で自分が当事者だと思って問題意識を持って暮らす人もいれば、自分の私的な生活だけが視野にあり世界中で起こっている紛争等の原因が自分にもあるとは全く思っていない人もいる、ということです。

政治社会の問題に当事者意識を持てない人が大勢いるのは、教育が失敗した結果です。
これでは何十年経っても社会は良くならないので、私たちは子どもたちの教育を充実させる運動を重視しましょう。

参考情報 教育全国署名

教育全国署名など、教育を充実させるための署名活動などが毎年取り組まれています。
ネットでPDFをダウンロードして印刷して署名するなど、誰でも参加できるので私たちも積極的に参加しましょう。

牧師は善人とも限らないし、悟りを開いた人でもない

キリスト教会の牧師なら、それなりに人間ができているイメージもあるでしょう。
実際はそういったことはなく、私たちと何ら変わりない人間であると心得ておきましょう。

誰でも、多くの場合何かかにかの職業について暮らします。
営利企業である株式会社の社員として色々な分野で仕事をする人々もいるでしょう。
非営利法人の職員として色々な分野の仕事をする人々もいるでしょう。
牧師は牧師という職業についたというだけです。

経歴が違い過ぎれば話が通じないのは当然と心得る

キリスト教徒の両親のもとに生まれ、キリスト教関連団体が経営する学校に通い、神学部などに通い、牧師になったという経歴の人もいるでしょう。

親族にキリスト教徒はいないし、普通に公立の小中高校に通い、キリスト教と無関係の大学などに通い、キリスト教と無関係の会社に就職し、一定の期間労働者として働いた後に、色々あって会社を辞めて、神学部等に通って牧師になったという経歴の人もいるでしょう。

同じ牧師でも、前者と後者ではものの考え方は当然ながらまるで違うでしょう。

キリスト教に囲まれて育ってきた牧師と、キリスト教と無関係の社会で生きてきた労働者のキリスト教徒が話した場合、もちろん理解し合えることも多くあるでしょうが、お互いに経歴が違いすぎてまったく理解しきれない部分も当然多々あります。

逆にキリスト教に囲まれて育ってきたようなキリスト教徒が、キリスト教と無関係に育って労働者として長年働いた牧師と話したら、もちろん理解し合えることも多くあるでしょうが、お互いに経歴が違いすぎてまったく理解しきれない部分も当然多々あります。

私たちは弱く愚かな生き物なので、それが当然であり、「まあ、お互い経歴が違いすぎるから、相手の思想・心理を完璧に理解出来るわけはないか。分からないなりにつきあえば良いだろうさ」と思いましょう。

逆に、普通の株式会社などでの労働者経験のある牧師と、株式会社の社員をしている労働者のキリスト教徒なら、結構深いところまで話が通じるかもしれません。

牧師は特別知識が豊富なわけでもないと心得る

牧師は広い分野について特別知識が豊富なわけでもないし、悟っているわけでもありません。
普通の人間なので当然です。

例えば、新約聖書には信者らが私的所有をやめて全員で所有物を共有化して、誰でも生活に困らないようにする、というような雰囲気の話が出てきます。
礼拝の説教などでこの箇所に触れるたびに「しかしこれは共産主義ではありません」と毎度言う牧師がいたりします。

この牧師が共産主義についてどれだけの知識があるのか、ソ連の「社会主義」を社会主義だと思っているのかどうか、共産主義は崩壊して資本主義が勝利し、資本主義は最終的な社会の仕組みで未来永劫資本主義は続くというような単純な思考に陥っているのかどうか、、それともゆくゆくは生産手段を私的所有ではなく社会的な所有にするべきだと思っているのかどうか、すべて不明です。

少しは勉強していてソ連の自由抑圧の社会は共産主義と言えるようなものではないと知っている礼拝出席者なら、説教で毎度そういう言い方をされると「ソ連の自由抑圧の社会が共産主義であり、共産主義は崩壊して失敗だったことが確定した」と思い込む人が増えてしまうので、不勉強な状態で毎度毎度共産主義がどうのと不正確なことを語るのはやめてくれ、と思うでしょう。

そのような例からも分かる通り、牧師はキリスト教に詳しくても他分野は詳しいとは限りません。
詳しくなくても腹を立てないよう注意しましょう。

参考の動画

対話だけで戦争は防げるの?共産主義や社会主義だと労働意欲がそがれるのでは?|乙武洋匡が日本共産党 小池晃議員に聞く!#1

牧師は悟りを開いていないし、そう思われたら牧師が大変と心得る

また、例えばキリスト教会に対する批判的な意見を言ったり、批判的な見解を紹介したりしただけで、頭に血を上らせて全否定してくる牧師もいたりします。

こういった態度もキリスト教徒などからすると頂けない態度ですが、自分自身を考えてみれば、誰でも何か言われたら結構頭にきてボロクソに言い返したりしているでしょう。

牧師も私たちと同じ弱い人間の一人ですので、礼拝出席者の私たちとしては「まあ、牧師にだけ聖人になることを要求するのも酷な話だよなあ……」と気付きましょう。
牧師なら様々な分野について知識豊富で、悟りも開いていて当たり前、などと思われると牧師も困るでしょうし、プレッシャーで精神の健康を崩すでしょう。

キリスト教関係者と話が噛み合わないことはよくある。がっかりしないでまた歩み出す

キリスト教会に行ってみたら、牧師やその他のキリスト教会の人々と話す機会ができるでしょう。

牧師やその他のキリスト教関係者に色々と疑問などを話してみたところ、話が全く噛み合わず、エリート意識を剥き出しで一笑に付されるなどし、がっかりするというケースはよくあります。

しかし、気を落とす必要はありません。
同じ経験をしている人はたくさんいます。

そういった場合には以下の動画をみて、仏性は私たち自身の中にあることを思い出し、初心に帰って元気を出してまた歩み出しましょう。

キリスト教関係者と話が噛み合わず落胆した時、初心に帰る動画

曹洞宗 心の柱

曹洞宗東北管区教化センター 心の柱

上記の動画「心の柱」は曹洞宗東北管区教化センター発行のパンフレット「心の柱」の説明動画らしいです。
パンフレット「心の柱」は、曹洞宗東北管区教化センターへ送料を添えて申し込むと送ってもらえるそうです。
以下のページに説明があります。

インテリの物言いに惑わされないことが大事である

キリスト教インテリの物言いに惑わされないようにしましょう。

不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
(文字に絶対的な権威を措定せず、経論の教えとは別に自分の言葉で思想を語り、現在の自分のままで、自己の真実を明らかにする)

衆生本来仏なり。仏性は私たち自身の中にあります。

連絡なしで突然キリスト教会に行っても大丈夫かどうかみてみました。

キリスト者と求道者の必読書



クルマ社会と子どもたち (岩波ブックレット (No.470))



「年間子ども500人が亡くなり,7万人が負傷する交通事故大国.
日本社会のその歪みを正すために,どんな視点が求められているか.
昔遊び場であった道という空間が激変した意味をたどり,児童の認識能力を過大評価した「交通安全教育」万能論を批判し,社会的弱者の生活空間において交通量を制御する交通環境改善の提言を行う.」



交通死―命はあがなえるか (岩波新書)



「私たちはいつの間にか交通事故で毎年1万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている.
しかし機械的な事故の処理,「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか.
交通事故で最愛の娘を失った著者が,事故当夜から刑事裁判,賠償交渉,民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを克明に綴る.」



子どもの命を守る分離信号―信号はなぜあるの?



「行政は、なぜ青信号を渡る子どもたちを見殺しにするのか?
『人間の注意力は不確実なもの』
信号システムを改善するだけで、確実に子どもたちの命が救えるはずなのに。」
「人と車を同時に交差させる一般交差点は、青信号を渡る子どもたちの命を危険にさらしている。
不確実な人間の注意力に頼る信号システム・交通行政を批判し、人と車の流れを分離させる分離信号の普及を提唱する。」



クルマよ、お世話になりました: 米モータリゼーションの歴史と未来



「アメリカはいかにしてクルマ大国になったのか?
クリーンエア最優秀賞受賞者がその知られざる驚愕の歴史を詳述し、クルマに依存しない豊かな生活のための方策を提案する。」

楽しい暮らしのために役立つマンガ


小中高の先生方が忙し過ぎるようで、子どもたちが「自分が主権者である」という意識を学べずに大人になるケースがかなりあるようです。
民主主義社会の一員として必要な基礎を子どもたちに教えてあげましょう。



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