ナザレ出身のイエス

ナザレ村の一男性イエスがキリストという扱いになった経緯

投稿日:2017年7月3日 更新日:

新約聖書の福音書にキリスト教の信仰上のイエスについて書かれています。
ところが、実際のナザレ村出身の一男性イエスがどういう人かが書かれているわけではありません。

一男性イエスがキリストという扱いになった経緯を大まかにみてみます。

イエスの人生は何を見ると分かるか

紀元前何年かにナザレ村で生まれた骨のある一男性、イエスがどういう人だったかについては、新約聖書の福音書に書いてあります。

新約聖書以外に、当時のことを記録した歴史書にもチラッとイエスのことが記載されているらしいです。

福音書が書かれた目的

福音書はイエスが処刑されてから何十年も後に書かれています。
そのため、福音書を書いた人たちはイエスに会ったことはありません。

福音書は、ナザレ村出身の一男性イエスはどういう人だったかを、正確に説明するために書かれたものではありません。

福音書は、人々に「イエスは神の子で、メシア(キリスト)である」と信じてもらう目的で書かれたものです。

ちなみに、メシア、キリストというのは、当時ユダヤ人の間で到来が待ち望まれていた救い主のことです。

信仰のイエス・キリストと歴史上の実際のイエスは同じでない

以上のような目的で福音書は書かれているので、福音書で描かれているイエスは歴史上の実際のイエスと同じではありません。

イエスの実際の言葉はいくらか伝わっているらしいです。

ところが、その言葉がどういう文脈で話されたかは伝わっていなということです。

福音書は、そのようなイエスの言葉を、文脈と関係なく色々つないで、記者の表現したいことを表現しているということです。

よって、福音書に書かれている信仰のイエスと、実際の史的イエスは区別しなければならない、という話になります。

キリスト教はイエスの教えを伝える宗教ではない

福音書にはイエスの言動が書かれているので、一見するとイエスの教えが記録されているように見えます。

ところが、上記の説明の通り、福音書は歴史上存在した実際の一男性イエスの言動を正確に記録したものではありません。

キリスト教というのはイエスの教えを伝えている宗教というわけではありません。

イエスが処刑された後、弟子たちがイエスをキリストと信じる宗教として成立させ、発展してきた宗教です。

ナザレ村出身の一男性イエスがキリストということになった流れ

ことのきっかけは、弟子たちが、死んだはずのイエスと会った経験

ことのきっかけは、弟子たちが、死んだはずのイエスと会う、という経験をしたことです。

弟子たちは、師匠のイエスを見捨てて逃げて、結局イエスはひどい目にあって処刑されました。

その結果、弟子たちはかなり罪の意識に苛まれたらしいです。

精神的に参っていた中で、死んだはずの師匠のイエスに会うという経験をしました。(復活顕現)

弟子たちが、イエスの死の意味などを調べた

死んだはずの師匠のイエスに会うという経験をして、弟子たちは元気を取り戻しました。

そして、イエスの死、復活、の意味を調べたりしました。また、イエスは何者なのか調べたりしました。

調べる資料として、ユダヤ教の聖書を調べました。

その結果、イエスはメシア=キリストだ、という結論になりました。

イエスの生前のことなどさらに調べを進めた

イエスがメシアだったという結論になると、生きていた頃もメシアとして生きていたことになります。

そのようなわけで、イエスの活動や、生まれや、生まれる前など、色々と調べが進められました。

ユダヤ教で、メシアはこういう存在、と伝えられている内容があります。
イエスはメシアだということになったので、そういうメシアの内容がイエスに当てはめられていきました。

キリスト教はヘレニズム世界に伝わっていきました。

ヘレニズム世界にも救い主などにまつわる色々なギリシャ風の話があります。
そういう話がさらにイエスにあてはめられていきました。

そのような感じで、イエスは救い主、キリスト、ということになったということです。

色々あった末、信仰の内容ができていった

上記の説明のように色々あった末、以下のようにおおまかに信仰の内容ができていきました。

  • イエスは天地創造の前から神とともにいて
  • ダビデの子として地上に生まれて
  • 人々の罪のあがないのために死んで
  • 生き返って
  • 天に昇って神の右にいて
  • 教会の頭のポジションにいる
  • いずれ再臨して神の国を完成させる

福音書によって信仰の内容が神話になった

上記のような信仰の内容を物語化して、福音書というものが書かれました。

この福音書が書かれたことによって、キリスト信仰が神話になりました。

実際の一男性イエスは、自分が福音書で描かれているような存在だと思っていない

福音書は、イエスが死んだ後に色々あった末に書かれたものです。

実際の、ナザレ村出身の一男性イエスは、自分が福音書で描かれているような存在だとは思っていなかったと思われます。

実際のイエスは、神の子だからということで色々活動していたわけではなく、当時の社会で社会との関わりの中で活動していたらしいです。

我々も政府与党が共謀罪を無理やりな方法で作ったり、法人税は下げられて逆進性の消費税で社会保障をまかなおうとしたり、そういう弱者を叩きのめして強者が勝ちほこるという社会の悪い部分を直そうと主権者として努力していますが、そういうのと同じことでしょう、基本的には。たぶん。

一男性イエスがキリストという扱いになった経緯を大まかにみてみました。

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