ナザレ出身のイエス

ナザレ村のイエスは処女から生まれたわけではない

投稿日:2017年7月9日 更新日:

イエスは処女マリアから生まれたという話は、キリスト教会では常識のようなものです。
ところが今日では、聖書の研究の結果実際はたぶん処女から生まれたわけではないということが分かっています。

ここでは、イエスは処女から生まれたというわけではないことを紹介します。

一般的には、イエスは処女から生まれたということになっている

日本語訳の新約聖書の「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」を読むと、イエスは処女から生まれたと読み取れるようなことが書いてあります。

そのため、一般的にイエスは処女から生まれたということになっています。

聖書に関する研究が進んで、理解が変わってきた

聖書に関する科学研究が進んできた

昔は、聖書は神の言葉なので、読んでそのまま信じ込むような感じだったようです。

しかし、ここ100年かそれ以上か詳しく分かりませんが、古代の文献である聖書を科学的に研究する取り組みが進んでいるようです。

その結果、昔はあまり分かっていなかったことが色々分かってきたらしいです。

例えば、現実的に言えばイエスは普通の大工の男性であることが判明し、その後に段々と神の子という位置付けになっていったということが分かっています。

また、イエスの母さんのマリアは普通の女性で、夫のヨセフとの間にイエスが生まれ、イエス以外にも何人か子どもが生まれて、ヨセフは早めに亡くなったかしたらしい、といったことが分かっています。

使徒言行録でパウロが回心するとき、強力な光が照ってパウロが目くらましをくらうなど派手な話になっていますが、パウロの書簡をよく読めば、実際はパウロの内心で起こった比較的地味な出来事であり、使徒言行録の書き方は事実とは異なりかなり派手な演出になっているらしい、などということが分かっています。
(この部分はパウロの書簡を読めば分かることなので、もしかすると昔の人もそれなりに知っていたのかもしれません。)

聖書に関しての客観的な知識は一般向けの書籍でも知ることができる

聖書学の分野の研究者が書いた本を読むと色々説明されています。

そういった学者が書いた本には専門書もありますし、一般向けに書かれた本もあります。
例えば朝日選書、岩波新書など読み易いシリーズでも聖書学者が書いたキリスト教関連書籍が出ています。

イエスは処女から生まれたわけではない

イエスは普通にヨセフとマリア夫妻の間に生まれた人間

ナザレ村出身の一男性イエスは、人間なので、当然ながら普通にヨセフとマリア夫妻の間に生まれました。

私もあまり詳しくはありませんが、単細胞生物などでは一匹から新しい一匹が生まれてきたりする生き物もいると聞いてはいます。

しかし、人間やエゾリスなどの動物はオスメスの間から新しい一人が生まれる仕組みなので、イエスも当然ながら夫妻から生まれました。

なぜイエスは処女から生まれたという設定になっているのか

キリスト教は、パレスチナ辺りからヘレニズム世界へと広がっていきました。

ヘレニズム世界では、神様と人間の処女の間から王様や英雄が生まれる、というような話がよくあるらしいです。

そういう文化風習のようなものに慣れ親しんでいるヘレニズム世界の人にも、イエスが神の子で救い主だと信じてもらうために、イエスは処女から生まれたというヘレニズム風の話が作られたということです。

意味的には上記のような理由ですが、事務上の話でいけば、ヘブライ語聖書のみどりごという言葉を処女という意味に訳してしまったという手違いが原因でもあります。

一方、ユダヤ教には神の子が処女から生まれるというようは話はないそうです。
ユダヤ教で神の子と言ったら、神と処女の間から生まれた英雄とかではなく、イスラエルの王のことを指す感じらしいです。

信仰上は、マリアは処女だったかどうかはあまり重要でもない

信仰上は、イエスの母さんのマリアが処女だったかどうかはあまり重要でもありません。
ですので、キリスト教徒であっても普通にイエスはマリアとヨセフの息子、と思っていて問題ありません。

重要なのは、イエスが語ってくれたとおり、私たちは神から無条件にゆるされているということを知ることでしょう。
人間であれ蛾などのその他の生き物であれ、古代のアンモナイトやステゴサウルスであれ、いつの時代も命あるものに無条件のゆるしが与えられており、おかげで生かされてきたわけです。

生かされていて始めて生きられているわけであり、また命はすべて存在そのものに価値があるということを知ることが重要です。
何かをするために生きているわけでもなく、何かをできるから生きている価値があるというわけでもありません。
存在自体に価値があります。

存在自体に価値があるクモが家に入ってきたら、捕まえて外に逃がしてあげましょう。

以上、イエスは処女から生まれたというわけではないことを紹介しました。

参考書籍

宗教の倒錯―ユダヤ教・イエス・キリスト教


「“いのち”を生かすはずの宗教が、なぜ殺戮と抑圧を生むのか。
イスラエル民族神話の成立からキリスト神話の成立へ。
連続と断絶、継承と相剋の壮大なドラマのうちに、救済を語る宗教にはらまれた、転倒のメカニズムを探る。」

青野太潮「どう読むか、聖書」(朝日選書)


「聖書とはいったい何なのか、これまで伝統的に主張されてきたキリスト教の聖書の内容は再検討されなくてもよいのか…。
狂信からの解放と懐疑からの脱却を目指す、聖書の新しい読み方を展開する。」

佐藤研「最後のイエス」ぷねうま舎


「死をひかえた、イエスの最後の沈黙。
あらゆる悲惨と言葉はここに崩れ落ち、栄光のきわみが立ち上がる──
信とは、怒りとは、親とは、女性とは、イエスにとって何だったのか、その折々の表情と身振りを描いて人間イエスを造型する。
次第に変貌をとげていくイエスの足跡を、福音書新訳の経験を踏まえ、テキストの正確な読みを基礎として再現。」

キリスト者と求道者の必読書



クルマ社会と子どもたち (岩波ブックレット (No.470))



「年間子ども500人が亡くなり,7万人が負傷する交通事故大国.
日本社会のその歪みを正すために,どんな視点が求められているか.
昔遊び場であった道という空間が激変した意味をたどり,児童の認識能力を過大評価した「交通安全教育」万能論を批判し,社会的弱者の生活空間において交通量を制御する交通環境改善の提言を行う.」



交通死―命はあがなえるか (岩波新書)



「私たちはいつの間にか交通事故で毎年1万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている.
しかし機械的な事故の処理,「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか.
交通事故で最愛の娘を失った著者が,事故当夜から刑事裁判,賠償交渉,民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを克明に綴る.」



子どもの命を守る分離信号―信号はなぜあるの?



「行政は、なぜ青信号を渡る子どもたちを見殺しにするのか?
『人間の注意力は不確実なもの』
信号システムを改善するだけで、確実に子どもたちの命が救えるはずなのに。」
「人と車を同時に交差させる一般交差点は、青信号を渡る子どもたちの命を危険にさらしている。
不確実な人間の注意力に頼る信号システム・交通行政を批判し、人と車の流れを分離させる分離信号の普及を提唱する。」



クルマよ、お世話になりました: 米モータリゼーションの歴史と未来



「アメリカはいかにしてクルマ大国になったのか?
クリーンエア最優秀賞受賞者がその知られざる驚愕の歴史を詳述し、クルマに依存しない豊かな生活のための方策を提案する。」

楽しい暮らしのために役立つマンガ


小中高の先生方が忙し過ぎるようで、子どもたちが「自分が主権者である」という意識を学べずに大人になるケースがかなりあるようです。
民主主義社会の一員として必要な基礎を子どもたちに教えてあげましょう。



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