キリスト教会へ行く

初めてキリスト教会に行ってみる 教会に行く方法

投稿日:2017年11月2日 更新日:

三浦綾子文学でキリスト教に興味を持った方など、キリスト教会へ行ってみたいとお思いの方も多いことでしょう。
しかし、一度も教会へ行ったことがない方にとっては、キリスト教会は入りにくいと感じるかもしれません。

ここでは、初めてキリスト教会に行ってみたい方向けに、キリスト教会へ行く方法をご紹介します。

なお、このページではプロテスタント教会の場合でご説明しています。

目次

1.色々ある教派のうち、どの教派のキリスト教会へ行くか決める

キリスト教会には色々な教派があります。
いったいどの教派の教会へ行けば良いか判断に迷うでしょう。

真面目な教会か、怪しい教会か、詳しくない人には判断しにくい

きちんとした真面目なキリスト教会の教派があります。

一方、キリスト教風ではあるものの、中身はキリスト教とは言えない謎の新興宗教もあるでしょう。

また、キリスト教原理主義者の人たちの教会もあります。

キリスト教会に詳しくない場合、それらの判別はつけにくいと思われます。

自分が信頼できる人物が所属している教派の教会に行くと良い

キリスト教に興味を持った人の場合、おそらく信頼できるキリスト教徒の知り合いや著名人がいる場合が多いのではないでしょうか。

例えば、三浦綾子文学に共感してキリスト教に興味を持った人の多くは、作家の三浦綾子は信頼できる人物だとお思いでしょう。

初めてキリスト教会へ行くときは、そのような信頼できるキリスト教徒が所属している教会と同じ教派の教会へ行くのがおすすめです。
自分が素性を知っている信頼できる人物が所属しているキリスト教会なら、おそらくきちんとした真面目なキリスト教会だからです。

キリスト教原理主義の教会には注意が必要

プロテスタントの教会の中にはキリスト教原理主義者の教会がたくさんあります。

見た目に区別がつきにくいです。

現在は自らをキリスト教原理主義とは言わず、福音派と呼んでいるらしいです。

謎の宗教団体として存在しているわけではなく、メジャーなプロテスタント教会として存在しています。

最近では、アメリカ合衆国のトランプ大統領を支持している右派に福音派のキリスト教徒が大勢いるということで、福音派の名前を耳にする機会が増えています。

福音派の一例としては、ラジオで「世の光生き生きタイム」という番組がありますが、この放送を行っている団体はキリスト教原理主義の人たちのようです。

原理主義と言えばイスラム教原理主義が思い浮かぶかもしれませんが、キリスト教にも原理主義者が大勢います。

原理主義は大変危険なもので、キリスト教文化圏は軍事的にも経済的にも力が強い分、イスラム教原理主義よりキリスト教原理主義の方がより危険といってよいでしょう。

ですので、知らずにキリスト教原理主義者の教会へ行ってしまわないよう気をつける必要があるでしょう。

その教派についてネットで調べるとなんとなく分かる

確認したいキリスト教の教派についてネットで調べてみます。

その結果、福音派の教会というような説明がある、または福音派の団体に所属しているらしい説明がある場合などは、その教派はたぶんキリスト教原理主義者の人たちの教会だと思われます。

ネット情報なのでどこまで信頼できるかは不確かですが、ウィキペディアで「福音派」の関連のページを調べると福音派の団体や教会などの一覧のようなものが出てきます。

参考のウェブページ

参考の本

鈴木 崇巨 「福音派とは何か?: トランプ大統領と福音派」春秋社

参考の動画

2.インターネットで近くのキリスト教会を調べる

行く教派を絞ったら、インターネットで近くにあるその教派のキリスト教会を調べます。

3.メールでキリスト教会へ問い合わせる

いきなりキリスト教会へ行くのはハードルが高い

神社なら、勝手に境内に入っていってお参りできます。

キリスト教会は、多くの場合、礼拝などの案内看板があり、ご自由にお入りください、というようなことが書いてあります。

ご自由にお入りください、と書いてはあっても、はっきり行ってキリスト教会は部外者が入りやすい雰囲気ではありません。

事前にメールで問い合わせておけば行きやすい

現在では、多くのキリスト教会がホームページを開設しています。

行ってみる教会が決まったら、ホームページの問い合わせフォームやメールで、「教会に行ってみたいのですがどうすれば良いでしょうか」と質問します。

そうすれば、いつでも自由にお越しください、と返事が来るでしょう。

そこで、「では●月●日に礼拝に出席させていただきます」というような連絡をしておきます。
当日は教会に入っていって「メールでご連絡しました●●と申します」と言えば先方はすでに知っているはずなので、初めてでも精神的に楽に礼拝に出席できます。

4.キリスト教会の礼拝に参加するときの注意点

礼拝に行くときの持ち物

初めてキリスト教会の礼拝に行ってみるときは何を持っていけば良いでしょうか。

カバンやバッグが一つあれば間に合います

週報など、プリントが数枚渡される可能性があるので、それを持って帰るためにバッグがあると良いでしょう。

聖書は、自分のものがあれば持って行ってもよいでしょう。教会でも借りられます。
賛美歌の本は教会で借りられます。

礼拝に行く時の服装

礼拝に行く時の服装は、仕事で会社に行く時と同じような服装でたいてい問題ありません。

私の経験では、男性なら背広を着ている人もいれば、普通のカジュアルな服装の人もいます。
女性も会社に出勤するときくらいの服装の人もいれば、それよりもっと普段着っぽい人もいます。

初回は不安があれば、男性なら背広にネクタイで行ってみて、2回目以降はノーネクタイにするなど雰囲気に合わせて適当に調節すると良いでしょう。

献金のコーナーがある

礼拝中、献金のコーナーがあります。

献金を入れる袋のようなものを持った人が回ってきて、その袋に小銭や紙幣を入れます。

献金はするかしないか自由であり、金額も自由なので、しない場合は献金係の人が回ってきても何も反応しないで座っています。
そうすれば献金係の人は、この方は今日は献金をする予定はない、と察して過ぎて行きます。

お金を入れる小さい封筒が渡される場合もある

教会によっては、小銭や紙幣をそのままではなく小さい封筒に入れた上で、献金係の人の袋に入れる方式のところもあります。

その場合、たいてい礼拝の受付のときに献金を入れるための小さい封筒が渡されます。

もし献金をしない場合は、この小さい封筒を空のまま献金係の人の袋に入れると良いでしょう。

ぶどうジュースとパンを飲んで食べる儀式をする場合がある

時として、聖餐式というぶどうジュースとパンを飲んで食べる儀式を礼拝中に行う場合があります。

この儀式でぶどうジュースを飲んでパンを食べるのは、教会によっては洗礼を受けたキリスト教徒だけのところもありますし、洗礼を受けたかどうかに関わらず全員のところもあるようです。

儀式前に、洗礼を受けた人だけがぶどうジュースとパンをもらえます、という意味合いの説明を牧師がしたりします。
ただ、遠回りな言い方をしたりして、とても判りにくい場合が多いです。

そこで、初めて礼拝に行ってみたときは、受付の人に「聖餐式はありますか? もしあるなら、そのとき私はどうすれば良いでしょうか?」と聞いておくことをおすすめします。
そうすれば、「今日はありません」とか、「あります。洗礼を受けた人だけ受ける式なので、あなたはそのまま座っていて頂いて結構です」など、返答があるはずです。

補足情報 キリスト教会についての予備知識

キリスト教会に通ったりするときに、いくつか予備知識を持っておくのも良いでしょう。

キリスト教会は善人の集まりではない

まっとうなキリスト教会であっても、別に善人の集まりではないことは心得ておく必要があります。

政治や社会の問題に何ら問題意識を持たず、選挙があれば白紙で投票したり棄権したりするキリスト教徒もいますし、ひどくなればキリスト教徒は政治活動をしてはいけないはずだ、という謎の思い込みをしているキリスト教徒もいます。

逆に、様々な分野の問題に高い問題意識と当事者意識を持って熱心に運動に取り組んでいるキリスト教徒もいます。

一般社会と同じです。
世界中の人・モノ・カネのつながりを意識して全ての問題で自分が当事者だと思って問題意識を持って暮らす人もいれば、自分の私的な生活だけが視野にあり世界中で起こっている紛争等の原因が自分にもあるとは全く思っていない人もいる、ということです。

政治社会の問題に当事者意識を持てない人が大勢いるのは、教育が失敗した結果です。
これでは何十年経っても社会は良くならないので、私たちは子どもたちの教育を充実させる運動を重視しましょう。

参考情報 教育全国署名

教育全国署名など、教育を充実させるための署名活動などが毎年取り組まれています。
ネットでPDFをダウンロードして印刷して署名するなど、誰でも参加できるので私たちも積極的に参加しましょう。

牧師は善人とも限らないし、悟りを開いた人でもない

キリスト教会の牧師なら、それなりに人間ができているイメージもあるでしょう。
実際はそういったことはなく、私たちと何ら変わりない人間であると心得ておきましょう。

誰でも、多くの場合何かかにかの職業について暮らします。
営利企業である株式会社の社員として色々な分野で仕事をする人々もいるでしょう。
非営利法人の職員として色々な分野の仕事をする人々もいるでしょう。
牧師は牧師という職業についたというだけです。

経歴が違い過ぎれば話が通じないのは当然と心得る

キリスト教徒の両親のもとに生まれ、キリスト教関連団体が経営する学校に通い、神学部などに通い、牧師になったという経歴の人もいるでしょう。

親族にキリスト教徒はいないし、普通に公立の小中高校に通い、キリスト教と無関係の大学などに通い、キリスト教と無関係の会社に就職し、一定の期間労働者として働いた後に、色々あって会社を辞めて、神学部等に通って牧師になったという経歴の人もいるでしょう。

同じ牧師でも、前者と後者ではものの考え方は当然ながらまるで違うでしょう。

キリスト教に囲まれて育ってきた牧師と、キリスト教と無関係の社会で生きてきた労働者のキリスト教徒が話した場合、もちろん理解し合えることも多くあるでしょうが、お互いに経歴が違いすぎてまったく理解しきれない部分も当然多々あります。

逆にキリスト教に囲まれて育ってきたようなキリスト教徒が、キリスト教と無関係に育って労働者として長年働いた牧師と話したら、もちろん理解し合えることも多くあるでしょうが、お互いに経歴が違いすぎてまったく理解しきれない部分も当然多々あります。

私たちは弱く愚かな生き物なので、それが当然であり、「まあ、お互い経歴が違いすぎるから、相手の思想・心理を完璧に理解出来るわけはないか。分からないなりにつきあえば良いだろうさ」と思いましょう。

逆に、普通の株式会社などでの労働者経験のある牧師と、株式会社の社員をしている労働者のキリスト教徒なら、結構深いところまで話が通じるかもしれません。

牧師は特別知識が豊富なわけでもないと心得る

牧師は広い分野について特別知識が豊富なわけでもないし、悟っているわけでもありません。
普通の人間なので当然です。

例えば、新約聖書には信者らが私的所有をやめて全員で所有物を共有化して、誰でも生活に困らないようにする、というような雰囲気の話が出てきます。
礼拝の説教などでこの箇所に触れるたびに「しかしこれは共産主義ではありません」と毎度言う牧師がいたりします。

この牧師が共産主義についてどれだけの知識があるのか、ソ連の「社会主義」を社会主義だと思っているのかどうか、共産主義は崩壊して資本主義が勝利し、資本主義は最終的な社会の仕組みで未来永劫資本主義は続くというような単純な思考に陥っているのかどうか、、それともゆくゆくは生産手段を私的所有ではなく社会的な所有にするべきだと思っているのかどうか、すべて不明です。

少しは勉強していてソ連の自由抑圧の社会は共産主義と言えるようなものではないと知っている礼拝出席者なら、説教で毎度そういう言い方をされると「ソ連の自由抑圧の社会が共産主義であり、共産主義は崩壊して失敗だったことが確定した」と思い込む人が増えてしまうので、不勉強な状態で毎度毎度共産主義がどうのと不正確なことを語るのはやめてくれ、と思うでしょう。

そのような例からも分かる通り、牧師はキリスト教に詳しくても他分野は詳しいとは限りません。
詳しくなくても腹を立てないよう注意しましょう。

参考の動画

対話だけで戦争は防げるの?共産主義や社会主義だと労働意欲がそがれるのでは?|乙武洋匡が日本共産党 小池晃議員に聞く!#1

牧師は悟りを開いていないし、そう思われたら牧師が大変と心得る

また、例えばキリスト教会に対する批判的な意見を言ったり、批判的な見解を紹介したりしただけで、頭に血を上らせて全否定してくる牧師もいたりします。

こういった態度もキリスト教徒などからすると頂けない態度ですが、自分自身を考えてみれば、誰でも何か言われたら結構頭にきてボロクソに言い返したりしているでしょう。

牧師も私たちと同じ弱い人間の一人ですので、礼拝出席者の私たちとしては「まあ、牧師にだけ聖人になることを要求するのも酷な話だよなあ……」と気付きましょう。
牧師なら様々な分野について知識豊富で、悟りも開いていて当たり前、などと思われると牧師も困るでしょうし、プレッシャーで精神の健康を崩すでしょう。

キリスト教関係者と話が噛み合わないことはよくある。がっかりしないでまた歩み出す

キリスト教会に行ってみたら、牧師やその他のキリスト教会の人々と話す機会ができるでしょう。

牧師やその他のキリスト教関係者に色々と疑問などを話してみたところ、話が全く噛み合わず、エリート意識を剥き出しで一笑に付されるなどし、がっかりするというケースはよくあります。

しかし、気を落とす必要はありません。
同じ経験をしている人はたくさんいます。

そういった場合には以下の動画をみて、仏性は私たち自身の中にあることを思い出し、初心に帰って元気を出してまた歩み出しましょう。

キリスト教関係者と話が噛み合わず落胆した時、初心に帰る動画

曹洞宗 心の柱

曹洞宗東北管区教化センター 心の柱

上記の動画「心の柱」は曹洞宗東北管区教化センター発行のパンフレット「心の柱」の説明動画らしいです。
パンフレット「心の柱」は、曹洞宗東北管区教化センターへ送料を添えて申し込むと送ってもらえるそうです。
以下のページに説明があります。

インテリの物言いに惑わされないことが大事である

キリスト教インテリの物言いに惑わされないようにしましょう。

不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
(文字に絶対的な権威を措定せず、経論の教えとは別に自分の言葉で思想を語り、現在の自分のままで、自己の真実を明らかにする)

衆生本来仏なり。仏性は私たち自身の中にあります。

以上、初めてキリスト教会行ってみたい方向けに、キリスト教会へ行く方法をご紹介しました。

このブログの参考記事

キリスト者と求道者の必読書



クルマ社会と子どもたち (岩波ブックレット (No.470))



「年間子ども500人が亡くなり,7万人が負傷する交通事故大国.
日本社会のその歪みを正すために,どんな視点が求められているか.
昔遊び場であった道という空間が激変した意味をたどり,児童の認識能力を過大評価した「交通安全教育」万能論を批判し,社会的弱者の生活空間において交通量を制御する交通環境改善の提言を行う.」



交通死―命はあがなえるか (岩波新書)



「私たちはいつの間にか交通事故で毎年1万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている.
しかし機械的な事故の処理,「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか.
交通事故で最愛の娘を失った著者が,事故当夜から刑事裁判,賠償交渉,民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを克明に綴る.」



子どもの命を守る分離信号―信号はなぜあるの?



「行政は、なぜ青信号を渡る子どもたちを見殺しにするのか?
『人間の注意力は不確実なもの』
信号システムを改善するだけで、確実に子どもたちの命が救えるはずなのに。」
「人と車を同時に交差させる一般交差点は、青信号を渡る子どもたちの命を危険にさらしている。
不確実な人間の注意力に頼る信号システム・交通行政を批判し、人と車の流れを分離させる分離信号の普及を提唱する。」



クルマよ、お世話になりました: 米モータリゼーションの歴史と未来



「アメリカはいかにしてクルマ大国になったのか?
クリーンエア最優秀賞受賞者がその知られざる驚愕の歴史を詳述し、クルマに依存しない豊かな生活のための方策を提案する。」

楽しい暮らしのために役立つマンガ


小中高の先生方が忙し過ぎるようで、子どもたちが「自分が主権者である」という意識を学べずに大人になるケースがかなりあるようです。
民主主義社会の一員として必要な基礎を子どもたちに教えてあげましょう。



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